現地調査⑧ 奄美市へ⑵

   鹿児島から奄美大島に移動。台風が心配だったが、お昼の飛行機は無事飛び、到着後も晴れていて安心した。


   着いたその日は、奄美パークで奄美諸島の全体像を予習する。奄美大島では、琉球支配時代と、薩摩支配時代により大きく影響を受けている。前者は、ノロという宗教公務員や、ユタという民間の巫女の文化財をもたらした。後者は、サトウキビの生産や、多くの本土の文化をもたらしている。


   その日は、名瀬市内に宿泊。しかし、夜から風雨が強くなり始めた。


   翌日は、ヒアリングと島内を案内いただく予定だったが、午前中にヒアリングをし、風の収まり始めた午後から案内していただいた。このくらいの風雨は奄美の人たちは慣れていて、だいたい暴風雨も2時間くらいで弱まり始めるという。


   琉球の影響の残る城間集落と、薩摩の影響の残る赤木名の2つの集落を見せていただく。比べてみるとその違いは歴然としている。後者は、知覧で見たような生垣と石垣の武家屋敷の屋敷構えが残っている。また、サンゴを積んだ石垣も残る。今後、赤木名地区を重点区域として、整備を進めて行きたいのだそうだ。


   また、付近に鶏飯発祥の地と言われるお店があり、そこでお昼をいただいた。鶏飯はかつて、薩摩の役人を接待する料理として誕生した。年老いた鶏を使うため、鶏の最期の奉公と言われているそうだ。


   車窓からポイントを解説していただきつつ、名瀬に向かう。名瀬では、担当の方が出席するNPOの会合を見学させていただいた。歴史文化基本構想で提言された「奄美遺産」の取り組みを至るところでアピールされているという。その積極性に感銘を受けつつ、是非応援したいと思った。


   その後、原生林に案内していただく。細い道を車で進むと、美しい滝が姿を表す。
聞こえるのは鳥の声と滝の水音。夜になると、アマミノクロウサギに出会える場所だそうだ。


   奄美では、ケンムンという人間界と自然界の境界に出てくる妖精の伝承があり、見たという人も数多くいるそうだ。その出没池は、開発を避けて保護されている。本当にケンムンに出会えそうな雰囲気の場所だった。近くの、マングローブの林も眺めることができた。


   短い時間だったが、ご案内のおかげで、奄美の文化の一端を見ることができた。本当に感謝である。また、ゆっくりと訪れたい土地である。