美術品補償制度

4月から、美術工芸品に関する仕事をしています。


その中で、主要な部分を占めているのが「美術品補償制度」。昨年6月に出来たばかりの制度です。
海外から美術品を借りて大規模展覧会をする場合、50億円以上の損害を国が補償するという制度です。これまでは、展覧会の主催者が民間保険に入ってカバーしていました。


日本では、大規模展覧会は、マスコミの文化事業部と国立の美術館や博物館の共催によって開催されています。会場は国立の美術館や博物館で行われ、地方の美術館に巡回するというパターンが多いですが、経費はほとんどマスコミ側が負担し、実際の企画、美術品の所有館との交渉、契約なども、マスコミが主体となって行われる場合がほとんどです。


近年、新聞業界が厳しい経営を迫られる中、文化事業に対する予算も厳しくなり、教育効果の高い大規模展覧会の開催が危ぶまれることから、保険料負担を軽減し、展覧会開催を支援するために、この制度が作られました。


大規模展覧会の開催がほとんどマスコミによって行われているというのは、実は、この仕事に関わるまで知りませんでした。スポンサーとしてお金を出しているだけかと思っていたら、実は、運営についても主催な部分はマスコミ側が担っているんですね。日本特有の事情のようです。
国立の美術館や博物館には、大規模展覧会を開催する予算も人員も不足している状況なので、必要なことなのです。でも、やはり、国立の美術館や博物館の大規模展覧会が、館主体に行われていないというのは、違和感を感じますよね。十分な予算や人員を措置せず、民間の文化事業に頼って来た国や地方公共団体の責任を感じます。


アメリカやヨーロッパと比べ、日本の美術館には、人員が本当に少ないのです。アメリカでは、美術館にはキュレーター(学芸員)の他に、レジストラ、コンサバターなど多くの専門分化したスタッフがいます。それを、日本では全て学芸員が担っており、雑用が多いために「雑芸員」と呼ばれていたりするのです。



上記のような状況が、日本で国家補償制度を発展させるにあたり、色々な矛盾を生んでいます。
まず、公益性との関係です。
税金を保険料として国が補償する制度である以上、この制度によって国民に利益が還元されていることが明確に示されることが必要です。
しかし、お金も実質もマスコミによって運営されているため、この制度がなくても展覧会は開催できるのではないか、マスコミが得をしているだけではないか、という批判もあるのです。
実際には、マスコミも赤字を出しながら運営しており、この制度が無ければ、本当に観客が動員出来そうな展覧会のみが行われることになってしまい、展覧会の教育的効果の質が低下するのですが、その点があまり見える形で、客観的に説明されにくいのです。
入場料の軽減など、目に見える定量的な国民利益への還元策が実施されつつ、定性的な還元効果についても説明する努力が必要だと思われます。


次に、海外の美術館との関係です。
日本の場合、美術館自身が交渉の場に来ないことが、海外の美術館から見て違和感を感じられているという話も聞きました。
また、海外の美術館も、最終的にはマスコミがお金を出すのだから日本の国家補償をあえて利用しなくても困らないのでは、と思っている面もあり、日本の国家補償の適用に積極的では無い場合もあると聞きました。(ただ、日本の国家補償制度が海外で受け入れられていないケースがあるのは、補償範囲が狭いという批判を受けている点が主な理由なのですが、その説明は別の機会に譲ります。)


当面は、国民への利益還元効果についてので説得的な説明に努めつつ、いずれは、美術館や博物館が主体的に展覧会開催に関われるようにする状況を作っていく必要があるのではないかと思います。

刀匠研修

備前長船刀剣博物館にて開催された、文化庁主催の刀匠研修に事務局として参加しました。


一般に、刀剣類は、「銃砲刀剣類所持取締法」で所持が禁止されています。しかし、鑑賞用の美術刀剣については、都道府県教育委員会へ登録することで、所持することが可能となっています。美術刀剣として登録を受けるためには、刀匠(刀鍛冶)が、その都度製作承認を受けて作ったものでなくてはなりません。
 最初の製作承認を受けるためには、文化庁の研修に合格し、かつ、一定期間の修行を経ていることが必要で、今回の研修は、その要件に当たる研修です。


 全国から、修行を始めて数年の方々が集まり、8日間で、原料である玉鋼から、刀剣を製作します。講師は、実績ある刀匠の先生方。各工程毎に評価がなされ、一定の技量に満たなかった場合には、そこで受講停止となる厳しいものです。


 日本刀の製作工程は以下のとおりです(参考:日本美術刀剣保存協会HP)。


<材料>
 日本刀の素材は、日本古来の製鉄技術であるたたらによって生産されます。
 たたらにより生産された広義の鉄のうち、炭素量0.03〜1.7%のもので、加熱して、たたけば伸びるものを「鋼」と呼び、この「鋼」に分類されるもののうち、特に破面が均質で良好なものを「玉鋼(たまはがね)」といい、これはそのまま刀剣の素材になります。


<工程>
○水へし・小割
 玉鋼を熱して厚さ5mm程度に打ち延ばし、次にこれを2〜2.5cm四方に小割りして、その中から良質な部分を3〜4kg選び出し、直接の材料とします。


○積み沸かし
 小割りにされた素材をテコに積み上げて、ホド(炉)で熱します。この過程で素材が充分に沸かされ(=熱せられ)一つの塊となります。


○鍛錬、皮鉄(かわがね)造り
 炭素の含有量を調整し不純物を除去するために、鍛錬を行います。鍛錬の方法は、充分沸かされた素材を平たく打ち延ばし、さらに折り返して2枚に重ねます。この作業を約15回程度行います。
 鍛錬によって、いわゆる皮鉄(=軟らかい心鉄をくるむ、硬い鉄のこと)が作られます。15回ほどの折り返し鍛錬の結果、約33,000枚の層状となります。日本刀が強靭である理由のひとつがここにあります。


○心鉄(しんがね)造り、組み合わせ
 皮鉄造りに前後して、心鉄を作ります。日本刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」という3つの条件を追求したものですが、切れるためと曲がらないためには鋼は硬くなければならないし、逆に、折れないためには鋼は軟らかくなくてはなりません。この矛盾を解決したのが、炭素量が少なくて軟らかい心鉄を炭素量が高くて硬い皮鉄でくるむという方法です。これは日本刀製作の大きな特徴となっています。

 私が立ち会ったのは、次の土置きの工程からでした。


○土置き(土取り)
 耐火性の粘土に木炭の細粉、砥石の細粉を混ぜて焼刃土(やきばつち)を作ります。これを刃文の種類に従って、土塗りをしていきます。焼きの入る部分は薄く、他は厚く塗ります。


(土置きされたもの)


○焼き入れ
 土置きされたものを、約800度くらいに熱します。炉はふいごを操作して温度調節をします。

 頃合いを見て急冷します。


○仕上げ
焼き入れが終わると、曲がり、反りなどを直して荒砥ぎをします。


○銘切り
 最後に、中心(なかご)の鑢仕立てを行い、目釘孔(めくぎあな)を入れ、最後に作者の銘を入れます。


(銘を入れているところ)


(完成した刀剣)



(講師による評価の様子)


 日本刀の製作工程を学ぶことが出来、大変勉強になりました。
 全国から集まった刀匠の卵の方々は、バックグラウンドも様々です。一人前になり、生計を立てるまでは厳しい世界ですが、貴重な日本文化の継承者として、是非頑張っていただきたいと思います。

4月から

 4月から、再び文化政策に関わる仕事に携われることになりました!!


 文化庁の美術学芸課という部署で、課長補佐に就任します。美術工芸品である動産の文化財や、美術館・博物館に関する制度を扱っているところです。


 私の仕事は、企画立案・法制度全般を担当するほか、昨年6月からスタートした「美術品補償制度」の担当になります。海外から美術品を借り受けるときに、民間保険会社の代わりに国が一定額を補償する制度です。スタートしたばかりの制度を、うまく軌道に載せていきたいです。


 1年間学んだことを活かせる部署に就くことができてうれしいです。
 自分だからこそ出来る仕事を目指して、頑張ります!!今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



大学院修了!

1年間の大学院生活を終え、ついに大学院を修了いたしました。



7〜9月のフィールドワークはとても楽しかったのですが、その結果を「学問的に」まとめる作業が一番大変でした。常に学問的な分析とは何か・・・?という問いと向き合っていた様な気がします。
行政の仕事は、まず妥当な落としどころを決めて、それから理由を考えるという順序で進むことが多く、現状分析がおろそかになりがちだという大きな問題があります。その点、この一年で、現状分析をしっかりする訓練ができたことは、本当に良い経験だったなと感じます。
また、色々な現場を見て、様々な人に出会えたことは、私の人生にとって大きな財産でした。
そして、自分の進むべき道を自分の足で歩めたという感覚。これは、何ものにも変え難い貴重な機会でした!!


そのような、大切なものを沢山与えてくれた学生生活。それだけで大満足だったのですが、最後に、プログラムの成績優秀者として表彰いただき、修了式に答辞を読むという、スペシャルな機会まで頂いてしまいました。


修了式当日は、4月から所属する部署の内示のため職場に行く必要もあり、本当にバタバタでした。
答辞を読むのは緊張しましたが、思いを素直に表現した結果、同級生、教授、沢山の方に好評のお言葉を頂きました。謝恩会では、来賓の方の中に、挨拶で私の答辞を褒めてくれた方もいらっしゃり。参列されていた同級生の奥さんも私の答辞を聞いて涙して頂いたようで。予想以上に皆さんの心に響いてくれたみたいで、本当に嬉しかったです。


リクエストを頂きましたので、その内容をこの場に掲載させていただきます。
 この一年間、支えて下さった皆様に心から感謝の気持ちです。本当にありがとうございました!!4月からからまた、頑張ります。


修士論文の概要は、こちら


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 本日は、私たち卒業生のために、このように盛大な式典を挙行していただき、学長先生をはじめ、諸先生方並びに職員の皆様に、心より感謝を申し上げます。
 日本全国から、政策研究という同じ目的のもとに集った、私たち卒業生が、ともに学び、本日、この良き日を迎えることができましたことを、大変嬉しく感じております。
 私は、文部科学省から、文化政策プログラムに派遣されております。私が、本学で学ぶことを志望いたしましたのは、自らが携わった政策を、学問的な視点から評価したい、専門となる政策分野を持ちたいと考えたためです。
 一年前の入学式、学長先生より「政策研究とは応用的な分野であるが、その基礎となる知を身につけることが最も大切である」というお言葉をいただきました。
 当時、派遣元では、震災への対応に多忙を極めており、入学前は、このような時期に職場を離れることに対し、戸惑いを感じたこともありました。しかし、今後のより良い政策立案のために「基礎となる知を身につける」ことこそが、今の自分の役割なのだと考え、一年間、研究に励んでまいりました。
 本学では、各政策分野のリーダーである先生方の授業を受けることができ、専門的かつグローバルな視点から、我が国の政策を見つめ直すことが出来ました。また、自分と異なる視点を持った、学生の意見や質問に、刺激を受けました。これらを通して、「いかに自分の視野が狭まっていたか」を痛感し、常に学び続け、視野を広げることの必要性を実感いたしました。
 私は、「自治体における文化財保護行政の在り方」を研究テーマとして選び、自らが立ち上げに携わった、事業のフォローアップを行いました。自らが携わった政策を学問的な視点から評価し、その実施効果や改善点を客観的に把握できたことは、得がたい経験でした。また、文化庁と連携しつつ、研究を進めたことで、調査結果をすみやかに政策に反映することもできました。なお、私にとって、論文の執筆が、最も困難な作業でした。調査結果から、いかに新しい知見を導き出すかに試行錯誤する中、道を照らし、研究の楽しさを教えて下さったのが、ご指導いただいた先生方でした。今後も研究を続け、常に、学問的視点から、政策を見つめ直すよう、努めてまいりたいと思います。
 最後に、学生生活について振り返りたいと思います。院生会の学生や職員の皆様のおかげで、学生主催の素晴らしいイベントが毎月のように開催され、大変充実した、学生生活を送ることができました。特に、昨年七月の「カルチャー・デイ」では、各国からの留学生が、それぞれの民族衣装に身を包み、伝統的なパフォーマンスを披露し、国境を越えて、本学が、そして世界がひとつになったのを感じた一日でした。日本全国、世界各国から集った、志の高い学生たちと知り合い、語り合ったことは、私の人生にとって、かけがえの無い財産となりました。
 私達は、卒業後、再び、それぞれの道を歩き始めます。震災以降、私達を取り巻く社会や、人々の価値観は大きく変化しています。そのような変化の時代の中、本学で学んだ「知」を十分に活かし、本学で得たつながりを大切にしながら、政策のプロフェッショナルとして、日本の、そして世界の、より良い未来の構築に努めていくことが、私達の使命だと考えております。私も、物事の本質を見極め、真に求められる政策を、行政・学問・現場をつなぎながら、進めることができるよう、日々努力を重ねて参りたいと思います。
 最後に、日頃から熱心にご指導くださいました諸先生方、私たちを支援してくださいました職員の皆様、励まし支えてくれた友人や家族、そして、このような機会を与えてくれた日本国政府に心より感謝するとともに、政策研究大学院大学の益々のご発展と、ご臨席の皆様のご健康、ご活躍をお祈り申し上げて、答辞といたします。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

歴史文化基本構想研修会

2月の終わり、文化庁主催の「歴史文化基本構想」の研修会が2月間にわたって開催されました。


文化庁が作成した、歴史文化基本構想の策定技術指針の説明や、モデル事業の実施結果の紹介、文化財の種類に応じた、文化財調査や保存活用計画策定の方法などについての説明が文化庁側からあり、最後に島根県益田市の事例を使って、実際に歴史文化基本構想を策定してみる、という演習が行われました。


ちょうど、論文の仮提出が済んだ翌日だったので、一年間の研究を振り返りながら、説明を聞くことができました。
何より、フィールドワークでお世話になったモデル事業を実施した自治体の方々皆さんにお会いし、改めて御礼を言えたのは、とても良かったです。一日目の夜は、皆さんとご一緒し、楽しい時間を過ごすこともできました。本当に、一年の研究の締めくくりにふさわしい、素晴らしい機会をいただいたと思います!!


研修内容自体は、文化財保護行政に携わっている人にとっては自明の内容が多かったのと、文化庁側の説明が、文化庁内での文化財類型ごとの縦割り行政の印象をより強めてしまったようです・・・。


同じ志を持つ仲間で集うことが、歴史文化を生かしたまちづくりにとって一番大切なのだと実感した2日間でした。素晴らしい機会に参加できたことに感謝です!

町並み保存連盟関東ブロック大会

東京芸大で開催された、町並み保存連盟関東ブロック大会に参加しました。

歴史が生きる町の安心安全がテーマで、谷中、真壁、佐原、桐生、小田原からの発表とパネルディスカッションという、充実した内容でした。


その後、NPO法人たいとう歴史都市研究会の方のご案内で芸大キャンパス内のミニツアーをしつつ、懇親会場へ。

文化庁時代にお世話になった方々との再会、各地で町並み保存や文化財保存に携わっている方々との出会いがあり、とても充実した時間でした。
文化財保護、町並み保存やまちづくりに関わっている方々は、本当に熱く、フレンドリーです。
私が文化財保護に携わりたいと思うのも、「携わっている人が好き」という理由も大きいな、と実感しました。

また、経済学や社会学の立場で文化財の意義を研究されている方々ともお話させていただき、なぜ文化財保護が必要なのか、を真剣に考え、答えを出すことは、仕事をして行く上で避けて通れないということも感じました。

また、以前文化庁でお世話になった方々との会話が印象に残りました。
その方は、文化庁の専門家のトップをされていた方なのですが、私がこれまで参加したシンポジウムには必ずと言っていいほど参加されています。
実際に町並み保存に関わっている方と膝を付き合わせて話すことを本当に重視されているのだと感じます。決して単なる権力行政になってはいけないということ、お互いの立場を理解し合うよう努めて、思いやりを持って行政を進めて行くこと。
文化財保護の分野かどうかに関わらず、常に忘れてはいけないことだと改めて感じました。

常に心に留めておけるように記しておきます。


素晴らしい時間に感謝です。

文化政策学会と日本イコモス勉強会

文化政策学会の研究大会に参加しました。


残念ながら、予定の関係で分科会を傍聴するのみとなりました。発表を聴いたり、予稿集を読んで感じたのですが、文化経済学会と同様、幅広い分野を扱っているようです。文化経済学会に比べて、こちらでは、社会教育との関連で、教育学系の研究者の方も多く参加されているようでした。また、行政的な視点から文化政策を捉えた発表もかなりあり、私としては、こちらのほうがなじみやすく感じましたが、両方フォローしつつ、自分の研究のテーマや興味に合わせて参加すれば良いのかなと感じました。


これまで学会というと、なんとなく近寄り難いものを感じていましたが、実際に行ってみると、会員以外でも興味に基づいて自由に参加できるものなのだと知りました。これも大学院に行った一つの成果かも知れません(これまでが無知すぎたのでしょうが…。)
また、学問の場では、教授も学生もフランクに自由に議論ができるというところが魅力だと感じました。



その後、早稲田から上野に移動し、日本イコモスの研究会に参加しました。


日本イコモスは、以前勉強会に参加させていただいたことがあり、それをきっかけに入会させていただくことになりました。
今回は、西洋美術館の世界遺産登録の現状についての報告があり、それに関するディスカッションがありました。かなり踏み込んだ議論が交わされ、とても勉強になりました。
参加されていた方の多くは有名な先生なのですが、とてもフランクに接していただき、そのあとの懇親会まで参加させていただきました。いろいろな方とお話でき、また、同年代の、文化遺産に関わりを持って仕事をされている方々とお会いさせていただき、本当に良い機会でした。


頂いたご縁を大切にこれからも勉強させていただきたいと思います。