現地調査12 太宰府市へ

 現地調査の最終地である、太宰府市へ。

 今回も文化庁の、モデル事業の担当者と一緒。
論文テーマの事業担当者が親しい友人でとても助かっている。何事も、人とのつながりだなあと感じる今日このごろ。


 太宰府市は、歴史文化基本構想のモデルとなる取組みを平成17年から行っていたところ。しかし、当時は、周囲がその理念をなかなか理解できず、計画がなかなか実現しなかった。今回の文化庁のモデル事業により、その計画が具体的に動き出している。このため、他のモデル事業実施自治体よりも、一段階次のステップに進んでいることになる。


 そのようなわけで、太宰府市の取組みは、平成18年ごろに自分が文化庁で働いているときから聞いていたので、今回、実際に担当の方からお話を聞くのは楽しみだった。


 太宰府では、地方分権の流れを受けて、地域にある文化財を、どのように市自身で守っていくかということを考えていた。そうして行き付いたのが、既存の文化財の類型や指定基準に縛られず、市民が大切だと思うモノやコトを市民自身で守っていく、という仕組みづくりだったという。太宰府では、「太宰府市民遺産制度」として、市民からの提案で、太宰府にとって必要な文化遺産を認定、登録していくという取組みが始まっている。


 地域にとって大切なお祭りや慣習、祠などが、地域で守られ、継承されていく。昔は当たり前に行われていたことだが、現在の地域社会では機能しづらくなっている。
 また、文化財行政の中で守ろうとしても、優品主義の発想から抜け出して、そのような法律上指定されていない文化遺産を守って行くのは難しい。
 そのような意味で、太宰府の取り組みはこれまでのパラダイムを転換するものである。


 今回は、実際に、市民遺産の一つを見せていただいた。
 「芸術家 冨永朝堂(とみながちょうどう)」に関連する文化遺産で、アトリエである「吐月叢」にお邪魔し、冨永朝堂の息子さんで、市民遺産の提案団体であるNPO法人「歩かんね太宰府」の代表の富永さんからお話を聞いた。


 「歩かんね太宰府」という市民発の活動について伺うことができ、それが「市民遺産」の仕組みをつくることによって、更に盛り上がって行くという行政と市民の協働の取り組みを感じることができた。


 また、その後、市民遺産候補を育成している現場も見せていただいた。


 その後、太宰府市内の文化財を色々と見せていただく。
 太宰府は、市内のかなりの面積を史跡が占める。


 特別史跡である水城跡。


 同じく特別史跡である大宰府跡。


 また、旧街道沿いに点在する、歌碑、神社、天満宮の鳥居、常夜灯など、大宰府固有の物語にまつわる文化遺産について説明いただいた。


どれも、一見なかなかわかりづらいものばかりだが、説明を聞くと、風景が違って見えてくる。このような物語を拾い上げ、後世に伝えて行くのが、歴史文化基本構想の一つの役割だと感じる。

 
 観世音寺では、多くの重要文化財を見せていただいた。


 大宰府天満宮へ。


 参道の建物の中には、歴史的な建物も残っている。その一つにお邪魔させていただいた。木造三階の趣のある建物だった。
 天満宮にお参りし、九州国立博物館へ抜け、そこから国博通りを下って天満宮まで再び降りてきた。


 最後の現地調査で、大宰府の取り組みを見ることができてとても参考になった。
 感じるのは、やはり、自治体で頑張っておられる担当の方の少しでも力になれればということである。
 微力ながら、頑張りたいと思う。